徳島市阿波おどり。(2023年時点で)49年間もの長きにわたり、変わらない場所が阿波踊りにはあります。
阿波おどり期間中は「眉山ライブカメラ」のYoutubeライブ配信でちょうどこのあたりが見れます。
地元徳島の人も観光客の人も。外国人も日本人も。有名連も無名連も。一切なんの関係もなく自由に輪になって踊れる場所。
阿波おどりを誰もが自由に踊れて、自然発生的にみんなが輪になって踊る場所。それが「新町橋よいよい囃子(ばやし)」。

当記事では、新町橋よいよい囃子をご紹介。
目次
48年間、新町橋のたもとで演奏を続ける人たち
阿波おどりの掛け声。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ~。踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々~」
これを48年もの間、変わらずに実際に行われている素敵な場所が「新町橋よいよい囃子(ばやし)」。
この画像をご覧ください。お囃子が始まった直後。まだ人の輪はポツポツ。

しばらく演奏が続くと、どこからともなく人が集まりだす。

多くの方が普通の服を着ている事からもわかる通り、この場所は一般人も観光客も地元の人も、まったく関係なく自由に踊れる場所です。
もちろん無料。出入りも自由。
新町橋よいよい囃子。実際の様子を動画で
新町橋よいよい囃子を上から見下ろした動画。
途中からですが、盛り上がってる様子が伝わるでしょう。それでも22分あります(だいたい一演奏が30分ほど)。
新町橋よいよい囃子の歴史
新町橋よいよい囃子は、今から48年前(2022年時点)に結成された連…というか演奏集団。
連長(リーダー)の柳町春雨(やなぎまちはるさめ)さん。

僕が今66歳だから44年前に始まった…はず
(インタビューは2018年なので2022年現在では48年前)
当時、両国本町にあったジャズ喫茶のマスター吉本さんが、常連客と一緒に鉦(かね)や太鼓、そしてフライパンや一斗缶などを叩いて新町橋北詰付近で演奏をしたのが始まりだそう。
現在ではきちんと三味線、笛も揃った正統派な囃子となっています。

結成されてからしばらくは、お囃子として演奏のみを行っていたそう。そんななか20年ほど前にイベントでステージに立つ事になることに。
その際、柳町春雨さんから
と依頼したことがキッカケで、後藤ゆうぞうさんが唄うようになったそうです。
ですから、歌がつくようになったのはよいよい囃子の歴史からするとわりと最近の事。
唄は柳町春雨さん(歌わない回もある)、後藤ゆうぞうさんの他、民謡が本職の笹路子さん、2014年からはポール川口さんも新たに歌い手として加わり、今に至っています。
演奏家も強者揃い。音楽で生計を立ててらっしゃるプロのミュージシャンの方もいます。
新町橋よいよい囃子、実は名前は後付け
新町橋よいよい囃子には、結成当時から長い間、名前がなかったそう。このため
「新町橋のアイツら」
「新町橋にいるやつら」
みたいな呼ばれ方をされていたそうです。十何年前にNHKの取材が入る事になり、その際当時のプロデューサーさんから
このままじゃ放送しづらくって仕方ない
と言われたとか。
それで仲間の皆さんと何日かあ~でもない、こ~でもないと話合って付けた名前が「新町橋よいよい囃子」だったそう。
名前が出来たのも、歴史から振り返るとわりと最近だったんですね。
踊りはお好きにどうぞ、でも演奏には徹底的にこだわる
今回(2018年)、新町橋よいよい囃子を見ていて面白いできごとがありました。
基本的に新町橋よいよい囃子は自由に踊ってOKな場所。よほど周りの方の迷惑をかける…とかでなければ演奏メンバーからとやかく言われる事はありません。
ある方が手で叩くタイプの太鼓を持って踊りながら乱入したのです。しばらくすると柳町春雨さんがその方を呼び止めてしばらくやり取り。
また再びその方は踊りの輪に入っていきました。
演奏が終わったあと、その方が場所を離れようとしていたので、思いきって聞いてみました。
リズムが違うと言われました(汗)こうや、こうやでって
同じ事を、演奏の合間に春雨さんにも聞いてみました。
踊りは好きにしてもらっていいけど、演奏に参加するならきちんとやってもらわないかん
新町橋よいよい囃子はあくまで演奏をし、歌を唄う方たち。だから踊りに関しては何も言いません。
しかし、演奏となれば話は別。彼らはめちゃくちゃ誇りを持って演奏しています。
なお、踊りの輪の中央で踊らずに突っ立ってると、そのうちごとうゆうぞうさんから「(優しく)円を描いて踊ってね♪」(第一段階)「踊れ踊れ、踊れっちゅうとるやろ~ボケ~~」(第二段階)とキレ芸されます。
極めようとすればするほどシンプルになり、原点にいきつく
あまりにひどい演奏だったんでしょうね、見るに見かねたある方から『お前ら、教えてやるからきちんとした演奏しぃや(しなさい)』って言われました
柳町春雨さんはずっと音楽関連のお仕事。でも、ある時思ったそうです。
グルーヴをやったら、どうしてもアメリカ人に勝てない
彼らは先祖代々受け継いだDNAの中にそのリズムが刻まれてるんですよ、かなわないんです
でも、僕らでも負けないものがあるな…って思い出したんです
阿波おどり?
僕もきっと、お母ちゃんのお腹にいた時から阿波おどりのリズムは聞いたと思うから
まさかDNAレベルの話が出てくるとは思いもしませんでした(笑)。
極めようとすればするほど、シンプルになっていくんだよね
きっと、戦前に耳にした阿波おどりに近いからじゃないかなぁ

春雨さんによれば、新町橋よいよい囃子の演奏は、戦前の「のんき連」の演奏を模範にしているそう。
何事もそうですよね。達人ほどシンプルで手数が少ないですよね
歌い手、ポール川口さんに聞いてみた
ポール川口さん。

2014年からこの新町橋よいよい囃子に正式に加入し、ヴォーカルとして皆さんを楽しませる。
通常のお囃子に加えて、「幸せなら手を叩こう」、「アンパンマンマーチ」、「おおシャンゼリゼ」、などを替え歌にしています。
ポールさんは徳島出身の方ですが、徳島を離れ東京など県外で15年ほど過ごしたそう。
だんだんメンバーの皆さんとも仲良くなって、鳴り物とか太鼓とか演奏に参加させてもらrつようになって
そうこうしてるうちに春雨さんが「うたってみたら」と言ってくれたので、唄わせてもらう事になりました。
4日間歌うのもノドが大変ですしね
でも、それ以上に楽しいです
では、今後もこの新町橋よいよい囃子で唄ってくれるのでしょうか、とお尋ねしたところ、間髪入れずに笑顔で
とお答えくださいました。

歌い手、後藤ゆうぞうさん
新町橋よいよい囃子、メインヴォーカルと言ってもいいのがコチラ、後藤ゆうぞうさん。

ゆうぞうさんは、新町橋よいよい囃子が始まってから2年目くらいから参加してる初期からのメンバー。
今でこそヴォーカルとして知られていますが、前述のように新町橋よいよい囃子は、20年くらいの間は楽器を演奏してるだけでした。ゆうぞうさんも、しばらくの間は楽器隊でした。
ある時、春雨さんから指名されるカタチでヴォーカルを担当する事に。現在のところ、新町橋よいよい囃子は…
春雨さん(やらない時もある)→ポール川口さん→笹路子さん→後藤ゆうぞうさんの順番で歌われています。
少しずつ盛り上がって、熱気が最高潮に達するのは、やはりラストを担当する後藤ゆうぞうさんがヴォーカルをしてる時だ。

新町橋よいよい囃子、いつもウチワを扇いでる人がいる
と、妻が言った。なんでも私と結婚してから、近所でやってる新町橋よいよい囃子を間近で見るようになって気づいたそうだ。
少し観察してみる。確かに、踊ってる人に向けてウチワをパタパタと扇いでいる。彼は自分では踊らないのだろうか?思いきってお話を聞いてみた。

彼は「トヨヒサ」さん。聞けば、もう15年ほどこの新町橋よいよい囃子のファンだという。ウチワをパタパタと扇いでいるのは
暑い中で踊る人に少しでも涼しさを…というコトだったんですね。
始めはそこの(向かいの藍場浜演舞場を指さして)有料演舞場で有名連の踊りなんかを見たりもしてました。あそこももちろんすごいんですけど
色々な場所で阿波おどりを見てるうちにココに惹かれました。ココが大好きですね
いろんな方がいるのが「新町橋よいよい囃子」。
他にも毎年4日間、この「新町橋よいよい囃子」を見るのを、踊るのを楽しみにしてる方が何人もいます。
今年も阿波おどりがやってくる、新町橋よいよい囃子で好きに踊ろう
さて、今年ももうすぐ阿波おどり。
阿波おどりもいろいろ変わったところもあるようですが、「新町橋よいよい囃子」は今年もいつも通り、誰でも自由に踊れる場所を提供してくれるハズ。
有名連の洗練された踊りを見て楽しむのもヨシ、新町橋よいよい囃子で輪になって踊るもヨシ。
徳島市阿波おどり、そして「新町橋よいよい囃子」にぜひ遊びに来てください。
団体名 | 新町橋よいよい囃子 |
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開催日 | 毎年8月12日~15日 19:00~23:00くらいまで。演奏時間は1回30~40分。1日4回くらい演奏) |
場所 | 新町橋北詰め付近の車道(目の前にミセルマルキ、そばの橋本、こだわりとうふ太子屋新町店があるあたり)。 |
備考 | 踊りはご自由にどうぞ |
