かつて徳島駅前からもほど近く、藍場浜公園の向かいにあった事で徳島のB級シンボル的な存在だった元チャーリービルのゴリラ君。
ビルの解体に伴い撤去された様子をリアルタイムで見物しました。その様子をレポートします。
https://sudachikun.tokushima.jp/entry/2018/11/07/184326
目次
徳島市元町の元チャーリービルには徳島のB級シンボル的存在としてゴリラがいた
徳島市元町にあったチャーリービル。建築当時はスタイリッシュな外観だったと思われる。

新築時はお客さんも大勢いて賑やかだったものの、駅前の衰退とともに徐々に客足は遠のき、とうとう閉店してしまったそうです。
私が徳島に移住してきた2011年には、既に空きビルとなって何年も経過していました。
長い間空きビルとなっていましたが、側面に張り付いたゴリラ君の迫力は健在。阿波踊り会館に向かう観光客の方が
と言った感じでビックリされて、おもわず携帯でゴリラの写真を撮る光景がよく見られていました。
徳島市元町にあった元チャーリービルの撤去が決定、ゴリラ君もいなくなってしまう事に
徳島市の様子を20年以上にも渡って見守ってきたゴリラ君ですが、ビルが老朽化し、危険になってきたこともあり、とうとうビルの解体が決定しました。
ビルの解体に先立って、まずこのゴリラ君の撤去が決まりました。
当時、ビルのすぐ近くのお店で働いていた私は、解体業者さんが下見にきたり、打ち合わせに来ていたのでその事を知る事が出来ました。
そして私の中で
という謎の使命感が芽生えてきたのでした。
ついに徳島市元町の象徴だったゴリラ君撤去、その一部始終はコチラ
そして迎えた2015年4月23日深夜、とうとうゴリラ君の撤去工事が決行されました。
事前に情報を入手していた私は間近からその一部始終を見学していました。

まず高所作業者で近づいて、ゴリラ君の最終点検。
大きなクレーン車が2台用意され、ゴリラ君の首と股間にロープがくくりつけられます。

そして慎重に少しずつゴリラ君とビルをくくりつけていた器具を緩めていきます。そしてついにその時が訪れます。


なんとも印象的なこの画像。

巧みな操作で水平にして…。

しばしの間、この状態で待機していました。

この状態でしばらく待機していると…今度はトレーラーが到着!国道は封鎖状態!

一点ものの貴重な荷物にさすがの業者さんも少しテンションがあがっている。


ここからゴリラ君を固定しないといけませんが、国道を通せんぼしてるので、少し進んで新町橋で停車しました。

新町橋にあのゴリラ君が少し間いました。このあとガリバーのように全身をグルグル巻きに固定されて連れ去られていきました。

当時の噂ではなんとかゴリラ君の再利用を…という計画もなくはなかったようですが、結局どうにもならなかったようで、その後彼の姿を見たものはいません…。
当時のゴリラ君撤去ツイートはわりと話題になった
私がこれまで一番リツイートされたのが、このゴリラ君撤去の様子を伝えたこのツイートでした。
徳島市元町の元ドラックストア「チャーリー」ビル解体中。目印になっていたゴリラ君は昨夜未明に取り外し作業が行われ、旅立っていきました…。 pic.twitter.com/FsivwUqI0b
— ランキン (@MtanGM) 2015, 4月 23
いかに、元チャーリービルのゴリラ君が徳島市民に親しまれていたか…がよく分かりますね。

その後、ビルそのものも半年?くらいかけて解体され、跡地はミニッツパークになり現在に至ります。
ビルがなくなってみるとけっこう狭いところに建っていたんだな~という印象です。

徳島新聞にも徳島の平成建築物を偲ぶ記事が出ていました。
https://sudachikun.tokushima.jp/entry/2018/11/07/184326